はじめに
私たちは、仕事や学習の中で「自分はこの分野が苦手だ」と感じるときがあります。こういった苦手意識は自分の行動を制限し、能力開発の機会を妨げます。しかし、苦手だからといって、その分野に適性がないとは限りません。また、「役員会でのプレゼンテーションを上司から任された」など、仕事の役割上、その分野の行動発揮を求められる場合もあります。
苦手分野の能力開発や行動発揮に取り組む際の心理的ハードルを取り除くヒントとして活用できるのが認知行動療法(CBT:Cognitive Behavioral Therapy)の考え方です。本稿では、CBTの基本原理と能力開発に応用する方法について解説します。

苦手意識が能力開発を妨げる理由
「自分は○○が苦手だ」という認識は、しばしば強い信念となって自分の行動を制限します。しかし、その認識が事実に基づいたものではない場合があります。心理学では、これを「認知の歪み」と呼びます。たとえば、1,2回の失敗を「自分はいつも失敗する」と拡大して解釈することがあります。このような認知の歪みは自己効力感を低下させ、「どうせ次もうまくいかない」と感じさせることで、”挑戦を避ける → 経験を積む機会が失われる → 能力が伸びない” という悪循環を生み出します。つまり、苦手意識は能力不足の結果ではなく、能力開発を妨げるブレーキなのです。
認知行動療法(CBT)の基本原理と能力開発への応用
認知行動療法(CBT)は、「認知・感情・行動は相互に影響し合う」という考えに基づく心理療法です。たとえば、「私はいつも失敗する」という認知は、不安を高め、行動を避けるという選択を促します。CBTでは、認知を現実的なものに修正し、行動を変えることで問題を解決していきます。ここで重要なのは、「感情はコントロールできない」ということです。「不安になってはいけない」と自分に言い聞かせても、不安な気持ちを抑えることはできません。コントロールできるのは、物事をどうとらえるかという「認知」と、何をするかという「行動」だけです。
人が能力を習得するには「行動」の積み重ねが必要ですが、苦手意識があるとその行動を避けてしまいます。そこで、CBT的アプローチで自分自身の「認知」を見直し、行動を起こせるようになることが能力開発を促進するカギになります。

苦手意識を克服するためのCBT的アプローチ【4ステップ】
- CBTを能力開発に応用する際の具体的な方法を、4つのステップで紹介します。
- 認知を見つける
まず、自分がどんな思考パターンを持っているかを把握します。たとえば、プレゼンテーションが苦手な人なら、「自分には大勢の人の前で話す力がない」「失敗したら取り返しがつかない」などの考えが浮かんでいるはずです。それを紙に書き出し、どのような状況でどのような思考が出てくるのかを明らかにします。 - 検証する(認知の修正)
次に、その思考が事実に基づいているかを問い直します。たとえば、「過去に完全に失敗したことは何回あったか」「うまくいったことは1回もなかったか」という質問を自分自身に投げかけます。多くの場合、失敗ばかりが印象に残っているだけで、成功した経験もゼロではないことに気づくでしょう。過去の事実を検証していくことで、自分には成功体験もあるのだということに気づき、「いつも失敗している」という誤った思い込みを現実的な見方に修正します。 - 行動実験を行う(小さなチャレンジ)
ここが重要なステップです。いきなり高い行動目標を掲げたり、完璧にできるようになることを目指したりする必要はありません。小さな一歩から始めましょう。たとえば、プレゼンテーションが苦手なら、”まず同僚3人の前で1分間話す練習をする → 5人の前で話す → 短いプレゼンテーションに挑戦する”というように、少しずつ行動のレベルを上げていきます。 - 振り返りを行う
行動の結果を振り返り、「思ったよりできた」「〇〇という状況ならうまくできる」「まだ課題はあるが改善できる」などの気づきを得ます。たとえば、「入念にリハーサルを繰り返しておけば、落ち着いてプレゼンテーションできる」「想定外の質問を受けると動揺しやすいので、その場で無理に回答せず、後日回答すると答えたほうがよい」などの発見があるかもしれません。そして、振り返りの結果を踏まえて、改善に向けた行動計画や、新たな小さなチャレンジを考えます。
このサイクルを繰り返し、少しずつ行動と成功体験を積み重ねていくことで、「苦手だからできない」という意識は「努力すればできる」に変わっていきます。

まとめ
CBTと能力開発に共通するのは、「認知を変えることで行動が変わり、感情が変わる」というプロセスです。能力の習得には経験と反復が不可欠ですが、苦手意識が行動を起こすことを邪魔します。しかし、苦手意識の多くは、事実ではなく自分自身の思い込みに基づいています。そんなとき、CBTという科学的アプローチを応用することで認知の歪みを修正し、行動発揮を促すことで能力開発につなげることができます。
私が数年前に若手・中堅社員の能力開発に携わった際、苦手意識がある能力の開発に取り組んだ社員の多くは、最初に立てた能力開発に向けた行動計画をほとんど達成できませんでした。恐らく、苦手意識が「行動すること」を遠ざけたのでしょう。そこで、「なぜ苦手だと思うか」「それが原因で失敗した経験はあるか」「成功した経験はないか」「失敗したときと成功したときは何が違ったのか」を面談で質問して掘り下げていくことで、社員が「いつも失敗しているわけではない」「〇〇という条件が揃えば成功しやすい」という事実に気づき、徐々に行動計画を達成できるようになっていきました。本稿で紹介したCBT的アプローチは自分一人でも実践できますが、CBTの知識を持った専門家や信頼できる相手から問いやフィードバックをもらいながら進めていくほうがより効果的です。苦手分野の能力開発に悩んでいる人は、ぜひ一度自分自身で、あるいは周囲の協力を得ながらCBT的アプローチを試し、自分に「認知の歪み」がないか確認してみるといいでしょう。

このコラムの担当者
清野 剛史
日本エス・エイチ・エル株式会社
アセッサーグループ 課長